2018/7/30

今住んでいるところは、駅のすぐ近くなので、近所にふらっと散歩に出る気分で電車に乗れる。しかも自転車を去年盗まれてしまい、それ以来買っていないので、自転車代わりとしても電車に乗るようになった。

それでも、時々同居人に自転車を借りて街を走ると、そのあまりの自由さに、電車は自転車の代わりを果たさないと実感する。
どんなに気軽に電車に乗って数駅先まで行っても、降りた先では、あくまで歩行者として移動できる範囲でしか街を把握できない。乗っている間は身体感覚が一瞬拡張されたようでも、降りるとすぐに元のサイズに戻ってしまう。
電車でどんなに速く遠くまで行けたとしても、乗っている側からすれば、その移動の時間はむしろ静止か停滞だ、スマホなどを操っていると特に。

自転車に乗ると、面的に自分のテリトリーが広がる感覚がある。道さえ通じていればどこでもどんな方向にも行けるのだ。四方に広がる可能性を引き連れながら、複数の選択肢を編み合わせながら、ある方向に進んでいくというのは、自由を大食いしているようで気持ちが良い。
実際の移動としては点から点を結ぶ線なのだが、その周辺のエリア全部をさらってきたような充実感が生じる。
(車も似ているだろうが、自転車はそこまで厳密に交通ルールに縛られないという点で勝ると思う。歩行者のふりも車のふりもできる。)

あと自転車は、車輪はもちろん地面に接しているけれど、身体が少し地面から浮いているというのがいい。大した浮き方ではなくても、乗った途端に、離陸したかのように想起する地図がぐっと広がる。自転車を「漕ぐ」という表現を使うけれど、「飛ばす」感覚も4割くらい入っているのではないか。

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