交換レジデンスプロジェクトvol.2 ―人間のための窓―レビュー
宮下寛司
1. 接触の境界としての窓
「交換レジデンスプロジェクト」は劇場以外に自前の拠点を持つ個人やグループが互いにその場所を行き来しクリエイションを行うプロジェクトである。2023年に東京の「プロジェクト・ユングラ」と山口の「スタジオ・イマイチ」との間における相互リサーチと、SCOOLでの上演が行われた。プロジェクトの2回目となる今回は引き続きユングラと、東京都に拠点を構えるアトリエである「円盤に乗る場」が連携した。円盤に乗る場は、演劇プロジェクトである「円盤に乗る派」が中心となって様々なアーティストが関わりながら運営されるアトリエであり、それらアーティストの集合体としての名前でもある。今回はユングラのメンバーの一人である木村玲奈と、円盤に乗る場の参加アーティストである劇団「散策者」が、ユングラと円盤に乗る場およびおぐセンター/霧笛を行き来しながら、2024年9月から2025年2月までクリエイションを継続して行った。
交換レジデンスプロジェクトの主たる目的は、普段は交わらないであろう個々の拠点間の交流を促すことだけに留まらない。すなわち、新たなレジデンス拠点を訪れてリサーチ活動を経て新たな作品を作ることだけが目指されているわけではない。個々の拠点は、場所の所有者やプロジェクトメンバーによって「ホーム」として維持されている。このプロジェクトはこのレジデンスが有する「ホーム」としてのあり方を検討することをむしろ目的として定めているといえるだろう。自らのホームにとって他のホームは「他所」であり、ホームというあり方の交換はあるパースペクティブによって固定された自と他の関係を織り込むことを目指す。ホームというあり方はアトリエやスタジオといった物理的な場所だけではなく、メンバーによるコミュニティおよびそれを維持するコミュニケーションの形態や内実によって構築される。それゆえにこの交換プロジェクトは、単に活動場所を一時的に入れ替えるというだけではなく、場所にまつわるアイデンティティを他のアイデンティティへと曝すことで自らのアイデンティティをその接触から捉えなおす試みである。
今回の交換レジデンスプロジェクトは、このような接触の境界について積極的に踏み込んで実験を試みている。その接触は神村によれば「窓」というテーマによって語られる。窓は外を臨み、また外を内へと取り込むための境界である。窓の外にみえるものによって内側の世界は閉ざされて完結しない。ただし窓は外側それ自体ではなく、内側を外側へと必然的に関係づけるものである。したがって窓をコンセプトにすることによって、離れ離れに完結していると想定される個々の場所はいかなる外へと関係するものとして捉えなおすことができるのかが問われる。
外へと関係づけられることで内側と外側が成立することは、上演芸術の歴史に鑑みれば、上演空間の可視性において重要な論点であった。近代以降の西洋において劇場は外側なき内側、すなわち窓のない建築を志向してきた。 [1] そのような劇場は窓を必要としないことで世界それ自体たりうるのであり、観客は世界を外から眺める人ではなく、そのような可視的世界の中に含まれる一点となる。それゆえにこの世界は、劇場という限られた空間において正確に表象された外部ではなく、むしろ世界それ自体として現れる構造である。尤もこのような世界はあくまで図像的な表現によってあらわされた。すなわち構造として現れる世界とは可視的世界である。このような可視的世界は、虚構として相対化されるための外部をもたないために、虚構ではなく現実的なものとしてのみ現れる。窓のない劇場とはその意味で現実化のための場所であるといえる。
窓を劇場の中に設えるということができるならば、その完結した構造が開かれるのであり、舞台という空間は世界を現実化させるメディアではなく空間そのものとして現れる。その中にある事物や人という諸要素は、表象するものそれ自体として現れ表象内容との隔たりを開き、両者においてもはや自明ではない関係を作り出す。この自明でない関係は、空間内の可視性が外を志向し舞台内の構造が閉ざされない限りにおいて、観客に対して与えられる。観客は、諸要素の図像的世界へ自らが統合不可能であることを経験する主体として空間に置かれる。それは観客にとって、世界への統合不可能性という悲劇的な契機でもあるが、個別化された恣意的な方法で事物を統合する愉悦を確認する喜劇的な契機でもある。事物が観客の喜劇的な態度によって統合されることを通じて現実が構築されるということは、こうした現実に確たる根拠がないことをまず暴露している。その意味で窓がある上演空間は、現実を虚構化するための場所といえる。
しかしながら、書割に窓が描かれているからといって閉ざされた舞台の空間が開かれるわけではないだろう。それではどのような方法で劇場に窓が設えられるのだろうか。窓によってもたらされる外部は、内部の可視的世界を構成するパースペクティブに適切に収まらない箇所である。窓から映る外部は、可視性そのものに与らないことで知覚不可能性や理解不可能性としてのみ現れる。こうした外部は絶対的な無意味ではない。ある完結した世界の構造に基づく限りでは理解できないのである。窓があることは、このような意味での外部が「必然的に」内部へともたらされていることだといえる。そうであるならば、書割に描かれたり舞台上の道具として設置されたりする窓ではこのような外部をもたらすとは限らないだろう。むしろ外部をもたらすための窓を見つけ出さなければいけない。窓はすでにあったかもしれず、それを見つけ出すために可視性から排除される否定的要素を可視性の論理において意味づけることをやめなければいけないだろう。窓は内的な世界がいかなる限界を持ちうるかを示すときにはじめて現れる。
交換レジデンスプロジェクトは当然ながら劇場で行われるわけではない。それゆえに劇場が持つ可視性にまつわる(とりわけ西洋的な)文脈を共有しているわけではない。また、ユングラやおぐセンターには窓が設えられており、このような文化史的前提を確認することは大仰であるかもしれない。あるいは交換レジデンスプロジェクトは、このような多かれ少なかれ上演芸術において前提とされるような劇場のモデルを(それ自体外部として)批判できるといえるかもしれない。ただ、虚構を現実化するような窓のない劇場と現実に配置される事物を世界として上演するために虚構化する窓のある空間は、現実化と虚構化の間にある運動においてどのような世界が現われるのかという点で、表裏一体の関係にある。例えば、窓があるような劇場ではない空間で上演があったとしても、現実化を志向するのであればそれはまさしく劇場が代替されているだけである。現実化は舞台という空間を所与として完全に後景に退かせることで可能になる。それは上演のために用いられる場所=劇場である限りにおいて舞台以外でも達成できる。すなわち上演のためのホームであればよい。そうであるならば、「サイトスペシフィック」な条件を取り込むだけで、劇場を批判する窓が見出されるわけではない。(技術的な支えはあるが)窓のない劇場は世界が現れる一つの様態である。窓を持つ上演空間の批判的様態は劇場的な様態を出発点として成り立つ。それゆえ両者は乗り越えるべき対立関係になく、むしろ相補的な弁証法の関係にある。窓はこの弁証法的関係をある空間の中に生み出すための起点である。
窓を通じてホームというあり方の限界が見定められるのであれば、それは世界がいかに現れるのかを捉えなおすことである。 [2] したがってどのような世界を作り出すのかは問題ではなく、どのように世界が作られるのかが問題となる。窓があることで外部がもたらされるとき、内側の世界は外の世界があることを知る。それによって内側にある世界は外側にある世界に対して副次的で漸次的でしかなく、虚構でしかないといえるかもしれない。外側とは具体的な窓の外に広がっている景色そのものでもあれば、社会、あるいは「現実」世界と呼びうる。したがって外側は、内側には限界がありそれが虚構でしかないというための実定的な対立項すべてである。世界の現れ方を問い直すのであれば、このような虚構としての内側と現実としての外側という固定された対立関係が問い直される。窓があることで生じる虚構化とは、内側を虚構として定める過程ではない。むしろ世界のあり方を定位することから引き離れる過程である。世界の現れ方を捉えなおすことは、現代においてより信じられやすい虚構を描き出すことや虚構を共有する新たな共同体を形成することでもなく、また内側を新たな現実として開き直って捉えることでもない。虚構化を通じていかなる現実と呼ばれるものが引き出され関係するのか、それを通じて虚構と現実はいかにして線引きされなおされるのかが問われる。そうであるならば、これまでと異なる方法で虚構化できるのかを実験する必要があるだろう。所与の場所を前提とするのではなくその場所へと何らかの方法で働きかけるという意味での虚構化は、演劇にせよダンスにせよ、あるいはパフォーマンスにせよ上演という過程においてこそ示すことができる。上演における出来事が現実化と虚構化の二側面を同時に担うからだ。
虚構化について考える時、交換レジデンスプロジェクトにかかわるホームが持つ(集合的にも個人においても)アイデンティティが嘘であることを暴くことが目的ではない。レジデンスのような場所のアイデンティティは、明確な根拠を持って成立していないが、時間とともに醸成され共有されている。このプロジェクトは場所のアイデンティティが不安定に基礎づけられていることを示し、上演においてそれを虚構化でもって共有する。すなわち、このプロジェクトは、アイデンティティの破壊や創造ではなく、いかなるアイデンティティであれ(究極的には)不安定さに基づくことを戦略的に肯定することを目指しているといえる。以下において、それぞれの上演を虚構化というテーマでもって考えていきたい。
2. 散策者「やらせたいことをやらせる」
散策者は岩下拓海、岡澤由佳、田中優之介、中尾幸志郎、長沼航、原涼音による劇団である。中尾が主宰を務めながら、比較的フラットな創作を続けている。近年「民主的」な演劇の制作プロセスを模索する動向がよくみられるが、散策者もまたそのような試みを目指しているといえる。この交換レジデンスプロジェクトにおいて散策者は円盤に乗る場からのアーティストとして、木村玲奈と交流をしながらユングラと円盤に乗る場を行き来して制作をつづけた。散策者のテーマは上演タイトルにも端的にみてとれるように「(「やらせたいこと」という)やりたいことをやる/やらせる」である。このテーマから民主的なプロセスにおける個々人の自由と主体性に関する試みが見てとれる。一般的に民主的であることのイメージにおいてしばしば語られるのは、個人の自由を担保することと制限することの「政治」である。日常の党派的な政治と異なり「政治的」であることは、決定にまつわるプロセスを問い直すことにある。理想的にはこの決定は従前多くの人の自由を担保するものへと向かうべきであるが、(現代社会において)異なる価値規範を持つ人々の間でそれを保証することは難しい。そのため、「政治的」であることが意味するのは、こうした決定のプロセスは究極的な解決策を持つことはできないが、可変的であるということである。理想としてめざしつつもこのような可変性をその都度検討することで明らかにしていくことは、見せかけと実態をうまく組み合わせていくという意味で演劇的である。[3] そのことを演劇制作において当てはめるのであれば、民主的な制作プロセス(時としてコレクティブと呼ばれる方法)は、意思決定の回避ではなく、むしろどのように意思決定を行うのかを問い直すことである。この意思決定の目的は演劇自体の共通了解を問い直すことから始めるラディカルさが求められる。(すなわち公演ごとのタスクを決めることとは異なる。)ただ、そしてそこでなされる合意は遵守されるべきルールではない。むしろその合意によって何が排除されるのかを検討するための実験基準である。このような意味での民主的な制作は日常政治を反映した内容を呈示する必要はないが、演劇が持つ政治的なものの思考をもたらす可能性がある。
散策者はこのプロジェクトにおいて、個人が日常的に感じる抑圧と自由の逆説的な関係を考え直すことから出発している。グループメンバーの多くは、普段は会社員として働いており、「やりたいこと」というよりは「やるべきこと」や「やらされること」を比較的難なく遂行している。ステートメントに書かれている通り、このことは必ずしも個人が抑圧されていることを示すわけではなく、むしろ他者のコミュニケーションにおいて多かれ少なかれこのような行為の指示が結果として自らの欲望を満たすための交渉として含まれることを示す。そこでわかるのは、自らの欲望である「やりたいこと」を「やらされること」から峻別して意識することは日常において決して容易ではないことである。
個人の自由なあり方が実現している様子を直感的に理解するには、やりたいことを好きなだけできている状況を思いつくことができる。一方でそのような状況が破壊的なアナーキズムをもたらし、社会や共同体を破滅させることもまた想像に難くない。そうであるからこそ、民主主義が必要なのであり、民主主義が個人のやりたいことを担保するというよりは、民主主義という政治的な形態が無際限の自由をその枠組みにおける限りで保証する。問題はこの枠組みである。今回の制作において本人たちのやりたいことが民主的に形作られることで、「やりたいこと」という欲望が他者とのコミュニケーションにさらされてどの程度本当に本人たち固有の欲望であるのかが試される。すなわち欲望の虚構化と呼べるような作業である。
今回の上演はユングラが会場となった。6人それぞれが演出家としてやらせたいことのコンセプトを持ち、他のメンバーに対して具体的なタスクを与え、40分の時間でそれを遂行することを課していた。6本の個別のコンセプトを持ったパフォーマンスが続くことになる。「やらせたいこと」は使役をともなう「やりたいこと」であり、演出家以外のメンバーは「演出家のや(り)らせたいことをやる」ことで演出家の欲望を間接的に示すことになる。
前半に上演をした長沼・岡澤・原の演出において、演出家がそれぞれメンバーに対してその人となりを踏まえたうえでやらせたいことを課すという共通点があった。観客にとってこのようなタスクは、演出家と俳優たちの間にどのような関係にあるから成り立つのか、それは俳優に対して何をもたらすのかということは必ずしも明瞭ではない。3人の演出家は「やらせたいこと」をある世界観において示す戯曲を用いずにタスクベースのパフォーマンスを呈示した。長沼の回は「からだを変えてみる」というタイトルを冠し、それぞれの俳優に対して、普段の活動の観察に鑑みてこれまで行ったことのないアプローチを課した。発表は順に行った。岡澤の回は「形を練る」というタイトルである。長沼と動機は似ているが、長沼は俳優術の伸展を期待したタスクであったのに対し、岡澤は手仕事によって何かを作ることに焦点を措いていた。ほとんどのタスクは同時並行で進んだ。原の回は「呼吸をする」である。原もまた同じような動機を有しているが、それによって課されるタスクはそれぞれの間で共通項をより取りづらい。同時多発的なタスクの遂行をもっとも明確に目指していた。
3人の演出それぞれにおいてそこでは必ずしも字義通りに欲望が解釈できるわけではなく、それを共有できない観客へと開かれることで時として欲望は様々に解釈される。しかしながら、これは演劇でありその開かれた解釈を前提としている。その開かれた解釈という分からなさを埋め合わせるためのドラマが、上演において語られることを目指していたように思われる。演出家のもとでタスクを遂行する俳優が、まさしく俳優として仕事をこなすコミュニケーションを志向していたことがそのことを裏付けているようにみえる。演出家がやらせたいことは、「観客の前でやらせたいこと」であり、演出家の欲望は二重の他者を出発点としている。ここでの欲望は他者との関係があってはじめて成立するが、その本人にとって突き止めようのない分からなさに対する具体的な輪郭を定めるために、観客と俳優たちの間で虚構の世界像が結ばれようとする。それぞれの上演において二重の他者を基礎にしなければ演出家が持つ欲望が定まらないことは、欲望を通じて自己を定義することの限界としても理解できるのではないか。
後半の岩下・中尾・田中の演出においては、前半と異なり、個々の演出家の個人的な動機をもとに個々の俳優へとやらせたいことを課していた。岩下の演出は「基本に立ち返る(Back to the Basic)」である。ある種の熱血主義的なテンションにおいて岩下から課せられたタスクの報告がなされ、岩下から檄が飛ばされる。中尾の回は「肉を捏ねる」である。岸田理生の戯曲『料理人』のテクストをベースに、AIによって生成されたというタスクが上演中に課され俳優はその場で指示に従い、いわばチャンスオペレーションのように遂行していく。田中の演出は「街を見る」である。前半3人の演出と同じように各人にタスクを振りながらも、空間内を斜めに横切るように設置された窓枠と思しき木枠の中でそのタスクが進展し、ひとつの戯曲作品のように進行した。
3人の演出において俳優たちは程度差はあるものの「即興的な」演技を求められる時間が続いていた。岩下においては俳優たちの動きは明瞭に即興的である。中尾によって与えられた厳密なスコアに対するタスクベースの身体運動は演技のように表象しているわけではなく、タスクの実現方法が個々人によって差があることから即興と言いうる。この点は戯曲に基づく田中の演出においても同様である。俳優たちは演出家に「やりたいこと」をやらせているだけではなく、自分ならではの演技を求められる。俳優の自発性と呼ばれるものが引き出されるといえる。それが単なる個人を引き立たせるだけではなく、演出家と俳優の権力関係を変えうるような演技としてみなすこともできるのであり、それは上演のプロセスにおいて見出されるだろう。タスクや戯曲には演出家の欲望が書き込まれているように観客は受け取るが、俳優たちの即興がそれにかなっていないかもしれないことに気づくからである。
演劇において戯曲を通じて理解されるような世界の前提は、演出家が掲げる個人的な動機へとまとめられて呈示される。一般的な演出家と俳優という関係はより分かりやすくみえる。通常観客は演出家がやらせたいことを見届けることに慣れている。それに付き添うことができる俳優を良い俳優と呼ぶこともあるだろう。その一方で外連味を発揮する俳優もまた名優と呼ぶこともある。もちろんこのような俳優の方法は、スター俳優の単なる勝手気ままな演技とも異なることに注意せねばならない。生産的な意味で俳優の技術が発揮される瞬間は、民主的な自由を考えるうえで重要である。民主的な制作は自由を無際限に担保するのではなく、どのような自由ならば作品や上演を維持できるのかという政治的な意思決定を課すものである。俳優の技術は上演においてこの意思決定が含む盲点や限界を示すことができる。俳優の技術が示すこうした盲点や限界は本人の意図によって現れるわけではない。むしろ、観客の視線を含む上演の状況において見出される。民主的な制作は上演において批判的に打破されるために必要なのであり、また俳優の技術は、暫定的に守られている民主主義を乗り越えるために観客へと委ねるように投げ出される。
散策者の試みは、民主的な演劇のあり方を模索していた。ユングラは劇場それ自体ではないものの、このような実験を許容する観客の共在を求めるという意味で、劇場であったといえる。時代的な要請による試みである以上に民主的なフォーマットに対する実験と反省が続くことは、次の新たな演劇のフォーマットを実現するために有意義であるといえる。
3. 木村玲奈『ここ ∩ そこ』
ダンサー・振付家である木村玲奈は、おぐセンターが含まれる建物の2階にある霧笛という稽古場を会場としてインスタレーション・パフォーマンスを行った。小さめの和室であるこの部屋は普段円盤に乗る場の稽古場として使用されている。木村は散策者と1月〜3月の7週に渡りワークの交換をしながら、おぐセンター/霧笛のある西尾久の地域をリサーチし制作を行った。
このインスタレーション・パフォーマンスにおいて、定められた公演時間で鑑賞が許される観客はただ一人である。おぐセンターから2階に上がり、扉の閉じられた部屋の前で木村から説明を受けると、部屋に送り出される。部屋の中には様々な小物や立体的造形物が配置されている。それらのそばには振付が記された小さな紙が添えてある。観客は6つの指示を遂行しながらこの部屋で時間を過ごすことになる。すべての指示に共通するのは、この部屋への観客である私の視線とこの部屋から向かう私への視線を意識することである。指示を遂行していく過程で、この空間へのまなざしとこの空間からのまなざしは複雑に交錯する。それによって私が上演中この部屋に最も正しい位置でいられるわけではないことが意識される。すなわち部屋の中で観客として理想的なパースペクティブは常に他のパースペクティブによって歪められていく。例えば観客は床に寝そべりながら、鏡を用いて霧笛の外を臨み同時中継を行うiPadの画面を眺める。観客はこの指示を遂行する過程で屈折する視線に巻き込まれるが、それは視線において現実と虚構が幾重にも折りたたまれることになる。鏡やiPadというメディアが用いられることで、上演を行う内部と上演と関係のない外部という二項対立は視線上のイメージにおいて交錯してしまう。またある時には振付指示に従って身体を動かすことで、自然と視線が規制されており、これもまた鏡やiPadといったメディアを通じて自分がふとした瞬間に認識された瞬間にこのことに気づく。私たちは上演が「今ここ」で行われることに上演芸術のメディアの特性を見出すが、この「今ここ」は、無意識のうちに歪めているパースペクティブとそれを成立させる身体的所作が前提になっていることに気づくのである。観客が一通りの指示を遂行し終えるか否かというときに木村が入ってくる。そして観客を後追いするかのように指示を順番に遂行していくのである。こうした指示は、木村自身による最も正確な答え合わせでもなければ、観客の振る舞いの再現でもない。ありえただろう/ありえるだろうアナクロニズムな身体がそこで上演されるのである。いわば根拠を持たない予感としての振付パフォーマンスが展開される。
タイトルはここでの経験を考えるうえで示唆的である。「ここ」や「そこ」という指示代名詞は具体的な対象を常に示すわけではない。この2語は相関関係にあるが、どちらかを指すのかは話者のパースペクティブによって規定される。このことは、言い換えればここである場所は見方を変えればそこでもありうる。このようなここでもありそこでもあるような場所は一つのパースペクティブに立脚する限りでは示し得ない。木村は振付指示を通じて観客の視線を複雑に折りたたみ歪めることで、観客における「ここ」や「そこ」と言い切るための根拠を不安定にして同時に「ここではないそこ」と「そこではないここ」という遊戯的な関係を上演空間内に開こうとする。私たちの実存を基礎づける身体的な中心あるいは基礎は、このような相対的関係を排除することで成り立っていることがわかる。またそれと同時に相対的関係自体へと視線を向けることであるパースペクティブを成立させるために自らの特異な身体こそが忘却され盲点になっていることがわかる。
このインスタレーション・パフォーマンスにおいて空間におけるパースペクティブの起点となるのは観客自身の身体ではない。観客の身体は様々な交錯する視線の関係の中にずれて置かれる。このずれを作り出すのが振付であるといえる。振付は空間において観客に対して正しく世界像を観るよう振る舞わせるための教導的な指示ではない。観客の空間へのパースペクティブではなく、空間自身が持つパースペクティブに気づかせるのが振付である。それは場所固有の論理によって形成されるパースペクティブである。それは同時に木村のパースペクティブでもないだろう。場所固有の空間が持つパースペクティブの主体性は第三者的に私たちに関与しているのであり、振付はその第三者へのコミュニケーションを開くのである。
4. 場所の経験として考える
交換レジデンスプロジェクトは、オルタナティブ・スペースとよばれる場所にまつわる試みの文脈に結び付けられる。オルタナティブ・スペースは上演芸術に限定されず様々な芸術領域において設立され、公演や作品発表を目的として設立されたわけではない場所をそれらの用途で用いることの美学的・社会的効果が語られる。上演芸術に限っていえば、オルタナティブ・スペースは劇場の代替としてみなされ、このような運動が生じたことには様々な理由が考えられる。制度的に、劇場での公演を行うための制作パッケージは多くのアーティストにとってもはや現実的とは言えない。法や支援制度、経済的実態に鑑みればその現状が早急に変わるわけではないだろう。美学的に、劇場において規範的に求められる芸術的なコミュニケーションが多くのアーティストの目指すものではないことも事実である。したがって、上演芸術におけるオルタナティブ・スペースの活性化は、劇場文化が行き詰っていることに対する暫定的な「代替案」ではなく、より積極的な解放の運動でもあることがわかる。しかしながら、劇場の乗り越えとしてオルタナティブ・スペースが構想されるべきではない。上述したように劇場とオルタナティブ・スペースは、美学的には相補関係にあるからだ。
例えば、ドイツ語圏の上演芸術は、このような相補関係によって自己批判を含めて発展してきた。ただ、ドイツにおいてオルタナティブ・スペースではなくフリーシーンと名指される。活動の実態を指す語の意味において双方に大きな隔たりはないが、フリーシーンは劇場外での上演芸術の活動圏の総体を指しうる。 [4] 60年代にアメリカで登場したパフォーマンスなどの新たな上演芸術の形態がしばしば劇場外での共同生活を含めた制作を含めて包括的な生活スタイルの革新を目指しことがドイツに伝わり、同様の実践がドイツでも展開した。ドイツでは公共劇場のシステムが盤石であったため、フリーシーンはアメリカに比べればより外縁に位置していた。アメリカでのオルタナティブな活動がドイツ語圏におけるフリーシーンのきっかけであったといえるだろう。その後ドイツ語圏の上演芸術は現代に近づくにつれて、公共劇場とフリーシーンの活動は相互に交流し新たな上演フォーマットの創造を目指すようになる。フリーシーンを支える劇場や機関などが制度化されたこともあり、制度論的な劇場とフリーシーンの対立関係が明確ではなくなったことも一因である。個々の上演に対する分析や研究がこうした相互交流の美学的な意義を説明し、上演芸術に対する理解を広げていった。
日本でオルタナティブ・スペースという語が用いられる場合は、このようなフリーシーンという語の持つ射程が必ずしも意図されているわけではないだろう。日本で用いられるその語はむしろ当然ながらアメリカにおいてしばしば用いられるオルタナティブ・スペースと同様の問題圏にいる。オルタナティブ・スペースに積極的な価値が認められるようになったのは、1970年代頃からである。とりわけニューヨークのSOHOなどにおける展示や制作が、都市におけるアートの生態系を豊かにしていることが認められたのである。[5] ネオ・アヴァンギャルド時代におけるアメリカや欧州のアートは、パフォーマンスの登場にも代表されるように、日常と芸術の境界を乗り越えることや物語の代理表象を目指さずに現実としての意味を(時として自己言及的な行いを通じて)創発することを目指していた。これらの美学的戦略はまさしくオルタナティブ・スペースにおいて実現しやすかったといえるだろう。ネオ・アヴァンギャルドの実践をその美学に則って理解するならば、時として制度批判という意味を持つことがある。例えばダンスや演劇、パフォーマンスを基礎づけるパフォーマンス性は、創出される現実の意味を制度批判に紐づけて理解しようとする。したがって、アメリカにおけるオルタナティブ・スペースの美学的戦略は本質的に、アートシーンの多様化を通じた旧来的な制度への批判であるともいえる。しかしながら、多くのネオ・アヴァンギャルドの美学的目標は挫折した。例えば日常と芸術の融合は結局のところユートピア的発想にとどまり、パフォーマンス性の理論的限界も指摘されるようになった。それと同様にアメリカにおけるオルタナティブ・スペースも制度化や商業化の波にのまれ、本来的に期待されていた役割を担うことは難しくなったことが指摘されている。オルタナティブ・スペースが20世紀に間にみせた動向はやがて日本でもみられることだろう。
ドイツ語圏のフリーシーンおよびアメリカのオルタナティブ・スペースに関する動向と議論から指摘できるのは、オルタナティブ・スペースを制度批判の実践として捉えることには限界があるということである。確かに、オルタナティブ・スペースはその国や地域の芸術を取り巻く政治や法、経済的事情を反映して登場しており、それら諸領域が芸術(とりわけ劇場)に対して抱える問題を結果的に指摘しているといえる。それゆえ日本におけるオルタナティブ・スペースは固有の文脈においてドイツともアメリカとも異なる独自の発展を遂げる可能性はある。しかしながら、日本のオルタナティブ・スペースが迎えると予見される展開が起こりうるとなおもいえるのは、まさしくこの文脈に固有な批判可能性を獲得しようと努めるからである。オルタナティブ・スペースの上演において、制度批判的な言説はつながりうる言説のひとつである。すなわち制度批判としても理解できるのであり、あるいは新たな現実を創造しそれを理解するための具体的な立脚点として制度的現実が呼び出される。そうであるならば、ネオ・アヴァンギャルドの時代においてパフォーマンスが代理表象でない方法で現実を作り出そうとしたことは、先行する現実ではないあり方で世界を創り出すことであり、近代の演劇と同じ位相の現実化の過程であると理解できる。オルタナティブ・スペースを待ち受ける限界を回避しようとするのであれば、そのような現実化を唯一の方法ではないものとして捉え直さなければいけない。それと同時にこのような捉えなおしを通じてオルタナティブ・スペースは、時代や状況に適応しながら変化していくことを要請されることに対して距離を取りながらも、生き残りをかけることができる。すなわち時代への応答としての現実化と、制度批判という根拠それ自体を疑う虚構化という運動がその場所で展開されることが回避的な生き残りになる(それ自体はとても不安定であるが。)
交換レジデンスプロジェクトが窓をテーマにして実験を試みてみることで、上演に対する価値判断を制度論的に基礎づけることが時として困難であることがわかる。両者の上演は必ずしもレジデンスが持つ社会的立ち位置を引き受けているわけでもないからである。ただしそれは、このプロジェクトが社会的な文脈を失い、唯美主義的な耽溺を個々のアーティストに許しているというわけではない。制度批判という言説が言説としていかに上演に現われうるかは、このプロジェクトが場所の問題へと取り組んでいることから示せる。場所は制度論的な言説を具体的に担保する。機能のみならず歴史や文脈があるからである。しばしば空間論において指摘されるように場所と空間は対立する。とりわけミシェル・ド・セルトーに依拠すれば、場所は文脈や歴史といった意味を持つトポスであり、空間は身体的な実践を行うことで生起する。所与としての場所と出来事としての空間という対立を見出すことができる。劇場やオルタナティブ・スペースを場所として上演を空間とおくことができるだろう。さらに、空間化としての上演ということができる。ここで場所と空間が結びつくのは必ずしも自明ではないが、場所が持つ所与の意味を動かすことができれば空間化され、両者が結びつく。一般的に上演は必ずある場所で行われるのであれば、空間化を成し遂げているといえる。そうであるならば、空間化としての上演が成立するために場所(の意味)が必要であり、場所(の意味)は空間化にとって必要でありつつ、空間化が成立するための虚構として関係する。上演という営みに限って言えば、空間化とは身体的な現実そのものではない。あらゆる場所でこのことは前提として生じるが、前景化するとは限らない。空間化そのものが他の潜在的可能性と並べられたときはじめて空間化そのものが露わになる。
交換レジデンスプロジェクトが制度論によってのみ語りえないのは、その具体的な条件である空間化そのものをテーマにしているからだろう。すなわち場所固有の上演形態(およびそれが可能になる制度的条件)ではなく、場所において経験することそのものがテーマになっている。ただし、それはどの場所においても生じるような普遍的な経験可能性を目指しているわけではない。空間化そのものが前景化するとき、その場所にとって異質な要素こそが経験や想起の対象になる。少なくともそこではないどこかがその場所においてオーバーラップするのである。共通の文脈や言説が参照されるわけではなく、そのような経験や想起は観客においてきわめて個別化されるだろう。ここで世界が現われるならば、それはもはや共通の場所を持たない。そこで初めてアイデンティティからも解き放たれた個別化された個が空間に現われる。交換レジデンスプロジェクトはそのような挑戦の可能性を秘めているといえるだろう。
[1] 西洋の演劇史における可視性の展開はバロック期における技術を舞台上に取り込んだことで典型的な舞台を創り出せたことから出発する。以下を参照。Haß, Ulrike: Vom Wahnsinn des Sehens in geschlossenen Räumen. Raumdebatten und Szenografie im 17. Jahrhundert. In: Barocktheater als Spektakel. Maschine, Blick und Bewegung auf der Opernbühne des Ancien Régime. Hrsg. von. Nicola Gess, Tina Hartmann und Dominika Hens. Paderborn 2015. S. 139-161.
[2]「世界化」は演劇性の重要な効果であるが、現代的な特徴について以下を参照。Gabriel, Leon: Bühnen der Altermundialität: Vom Bild. der Welt zur räumlichen Theaterpraxis. Berlin 2021.
[3] 民主主義と演劇についての関係は以下を参照。平田栄一朗「政治思想から見た民主主義の演劇的特徴」『演劇と民主主義 演劇学と政治学のインタラクティブ』平田栄一朗/針貝真理子/北川千香子編著、三元社、2024年、37-61頁。
[4] Fülle, Henning: Freies Theater. Die Modernisierung der deutschen Theaterlandschaft (1960 – 2010). Berlin 2016. および、ゲラルト・ジークムント「表象と参加の狭間で : 演劇の社会的状況に向けて」宮下寛司訳、『研究年報』翻訳特集号、2021年、97-103頁。
[5] Ault, Juliet(Hrsg): Alternative Art New York, 1965, 1985: A Cultural Politics Book for the Social Text Collective. Minnesota 2003.
宮下寛司(慶應義塾大学非常勤講師)
「交換レジデンスプロジェクトvol.2」企画詳細
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