呉宮百合香《無駄な時間の記録》レビュー|”Record of Useless Time” Review by Yurika Kuremiya

スコアを出発点とするダンスのために

身体が曲線的だとしたら、言語は直線的だ。両者の間には、必ずこぼれ落ちるもの——欠落と余剰——がある。
古来より多くのアーティストや理論家が、生まれると同時に消失するダンスを記述しようと様々な方法を編み出してきた。音楽における五線記譜法のような共通形式は確立しておらず、汎用性が比較的高いながら習得までに何年もかかるものから、本人しか読み解けない独自のものまで、そのありようは多岐にわたる。
現在では映像が最も手軽な記録手段になったが、2Dであれ3Dであれ、カメラが捉えられるのはあくまで誰かが解釈=上演した一回的な「結果」に限られる。それゆえ個別具体的な上演に先立つコンセプトや規範を記述する際には、今なおスコア的なものが有効であり続けている。

ダンサー/振付家の神村恵は、言葉と動きの関わりという観点からスコアに関心を寄せ、街中の標識や指示の読解からダンスを立ち上げる《STREET MUTTERS》(木村玲奈との共作)や、映画から抜き出した場面をスコア化した上で再現する《スクリーン・ベイビー》(津田道子と〈乳歯〉として共作)といったプロジェクトに取り組んできた。
「スコアを用いてダンスを立ち上げる」ことをテーマにした本企画もまた、その延長線上にある。岡田智代、増田美佳、たくみちゃんと共に、ダンススコアに関するリサーチや議論、稽古を積み重ね、2021年7月には岡山大学教授の酒向治子氏を招いて、舞踊記譜法研究の第一人者であるアン・ハッチンソン・ゲストが考案した分類・記述システム「ランゲージ・オブ・ダンス(LOD)」についてのオンラインレクチャーも開催した。
今回SCOOLで行われた公演では、4名それぞれが創作過程にスコアを組み込んだソロを発表した。はじめに記譜法一般に関する簡単な解説とデモンストレーションを行なってから、各自のパフォーマンスに移る。そして上演の前後、あるいは途中に、スコアをどのように用いたかを本人が口頭で説明する構成となっている。

無防備な状況の設定——岡田智代『記憶の壁』
近頃物忘れが気になる、とはじめに語った岡田智代が制作したのは、作業手順書のようなスコアだ。1から6まで、実行すべき行為=タスクが極めて簡潔に指示されている。
パフォーマンスは、無作為に選ばれた十数名の観客がひとり1枚の付箋をランダムに壁に貼るところから始まる。東京五輪の新競技として話題となったスポーツクライミングのオブザベーション[競技前に課題を観察して戦略を立てる時間]に倣って、岡田は付箋の位置を観察し、どの順序で辿るかをまず考える。次に一連の動作に落とし込みながら記憶し、再現可能になったところで、方向転換・拡大・縮小といった操作をそこに加えていく。そして最後に、自らが辿ったルートを紙に書き記すのである。
本作において、スコアは不確定要素を内包した状況を設定するためにある。どこに付箋が貼られ、どのように岡田が動くかは、蓋を開けてみるまでわからない。上演は、必然的に全て即興となる。客席に背を向けて壁面をじっと観察し、手が届かないほど高い位置に貼られた付箋を目指して一生懸命飛び跳ね、右往左往しながら短時間で覚えようと奮闘する——その結果、予め決まった振付を遂行する時とも自発的に即興で動く時とも異なる、極めて無防備な身体が観客の眼前に晒されることになるのである。

句の身体的鑑賞——増田美佳『あたたかな顔』
ダンサー/文筆家の増田美佳は、俳人阿部青鞋が詠んだ身体にまつわる40句をスコアとして、動きに変換していった。ポップミュージックに乗せて説明なしで上演する1回目、ひとつひとつ止めながら句と動きの関係を解説する2回目、無音・無言で再び繋げて踊る3回目と、情報量を変えながら段階的に見せていく。「要するに爪がいちばんよくのびる」で頭上に挙げた手を「あたたかに顔を撫ずればどくろあり」でゆっくりと顔の前をなぞるように下ろしてくるなど、増田の中でスコアと動きの対応は明確に定められており、観客にも判別可能だ。
自身も4年前から俳句に親しむ増田は、俳句は人に読まれることで完成すると語る。本作では、読み上げる代わりに全身を用いて17音が描く情景に生気を吹き込んでいく。想起したイメージを自身の語彙でアウトプットするこの行為は、一種の鑑賞でもある。
身振りは常に時間の連続性の中にあり、声のようにその場で簡単にオン/オフを切り替えることはできない。増田は区切りが曖昧になるその性質を逆に利用して、複数のイメージを自らの身体上で交錯させていった。それが最も顕著に現れているのは、3回目の上演である。1回目では一句ずつ間を取りながら演じていたのに対し、3回目では動作間の境界を溶かしリズムにも抑揚をつけることで、句と句の間に化学反応を生じさせていた。

複数タイムラインの同時再生——たくみちゃん『たくみちゃんの動く城』
インプロヴィゼーションを中心にした身体表現で知られるたくみちゃんは、自らが過去に行ったパフォーマンスの記録映像からスコアを起こし、紙の上で更なる編集を加えるという形を取った。Googleスプレッドシートで作成されたそのスコアは、複数の緻密なタイムラインから構成されている。なかでも特徴的なのは、右足・胸・肩といった身体部位のレベルに指示を分解していることである。先の増田が全身でひとつのイメージを具現化していたのに対し、たくみちゃんは部位ごとに異なるイメージを割り振り、全てを同時再生することを試みる。例えば「骨盤から肩甲骨を通り指先までをひとつながりの滑り台として捉える」と同時に「背骨から水が湧き、ウォータースライダーとなって床にぶちまけられる」、そして「左肩を鳥海山にする」といった具合に。それは映像編集のように細かく複雑な二次元的編集作業だ。
即興で行ったことをスコアに変換することで、ひとつの身体的連続性の中で有機的に生起していた事象は一旦バラバラに分解される。そこに机上の操作を加え、本人の言葉を借りるなら「建て増し」した複数のタイムラインを、改めて身体内に走らせるのである。スコアと上演を突き合わせると、そのあまりに高密度な展開に驚かされる。スコアの文字を目で追うよりも早く、様々なことが起きては移り変わってゆくのだ。

抽象化した動きの再構成——神村恵『記録の時間な無駄』
神村恵は、自身の日常的な行動や思考を観察・記録したものをスコアの素材にした。具体的には、無為の時間に浮かぶ取り止めのない思考を「テキスト」として発話しながら、自身が最近そぞろ歩きした「ルート」の通りに身体部位を動かしていく。
この時スコアを通じて行われているのは、ふたつの操作である。第一に無意識の領域を意識化する操作。第二に動きを文脈から遊離させ、抽象化する操作である。こうして取り出された要素を再構成して、神村は極めてミニマルなダンスを立ち上げる。
興味深いのは、必ずしも可視的な結果に表れるわけではない「思考」の流れをスコアによって規定していることである。「ルートと別の方向に進もうとしながらも、外から自分を押すようにしてルートの方向に自分を転がす」の場合は、まだ動きの中にも相反するベクトルを見出せるかもしれない。しかし「ルート8を頭の中で辿りながら、ルート5を歩く」や「動きながら、それが1の意味を表しているかを考える」に至っては、観客はスコアを通じてしか知りようがない。つまりスコアが介在することにより、思考の動きまでもがダンスの一部となるのである。

スコアを通じて他者を織り込む
二次元のスコアに落とし込む過程で、情報は取捨選択され純度が上がる。それを再身体化し上演する過程で、今度は新たな解釈が付加される。欠落と余剰の繰り返しの中で、省察を深めると同時に「他なるもの」を織り込み、パフォーマンスを創造的に変容させていく。
言うなればスコア作りは、動きや考えを自分の身体から一旦切り離して他者化する作業である。今回、たくみちゃんと神村恵は過去の自身の行為を客観的に分析・再構築し、岡田智代は上演に他者の行為を介入させ、増田美佳はそもそもの出発点に他者の言葉を置いた。「ダンス」を個々の身体から引き剥がすことで、自他で等しく共有し議論できる対象にする。情報を開示し、創り手の特権性を回避するという点で、それは民主的な行為と言えよう。
民主性への志向は、作成したスコアを展示・配布して、創作プロセスを説明し、最後には観客との対話の時間を設ける本公演の形態にも反映されている。客席の後ろの壁に貼られたスコアは、開演前に見てもどこに着目していいものやらわからない。しかし終演後には、コピー用紙に踊る記号が立体的な情報として立ち上がってくる。上演を通じて垣間見た創り手の思考と身体の片鱗が、それらを読み解く糸口となるのである。
「書かれたもの」はまた、「書かれていないもの」にも意識を向かわせる。ミニマルな中にも艶のある岡田の踊り方や、空間の風景を一瞬で変質させる増田の眼差し、たくみちゃんの肩の緊張が生み出す独特の姿勢や、神村のクールで動じない佇まい——記述されていないことにこそ彼らの解釈=上演の特質があることが、スコアによって浮かび上がる。
そして観客は、アーティストと同じく一解釈者となる。本企画の主眼はおそらく、個々のアーティストの作品(ワーク)を一方的に提示することにはない。肝要なのは、プロセスに立ち会う全ての人の間に、スコアを介して民主的なコミュニケーションを誘発することなのである。

(2021年10月22日所見)

呉宮百合香
ダンス研究/アートマネジメント。コンテンポラリーダンスの上演分析を中心に、ダンスアーカイヴに関するリサーチも継続的に行う。フランス政府給費留学生として渡仏し、パリ第8大学と早稲田大学で修士号を取得。国内外の媒体に公演評や論考、インタビュー記事を執筆するほか、ダンスフェスティバルや公演の企画・制作にも多数携わる。研究と現場の境界で活動中。


Photo: Shu Nakagawa