Platform || Pause – rest+restore

”休養”と”回復”をテーマにしたイベントに参加します。日常でおこなっている動作を改めて稽古する、《新しい稽古》をおこないます。

Platform || Pause – rest+restore
休日のプラットフォーム「休養と回復」

会期 2023年4月28日[金]~5月7日[日]
時間 13:00~21:00(最終日5/7は17:00まで)
会場 BankART KAIKO
料金 1日券=1,000円/フリーパス=3,000円
オープニングパーティー:4月28日[金]19:00~

ゴールデンウィークの10日間、「新しい休日の過ごし方」を軸に12組のアーティストによるパフォーマンス、睡眠、食、団欒、会話など、他では味わえないオルタナティブな休日の過ごし方を提案、実践します。コロナ禍を経て、都市や娯楽、休暇の過ごし方に求められる意識も変化してきているように思います。AIなどの技術革新により「わかる」にいかに最短でリーチするかを競う効率化社会の昨今だからこそ、「わからない」と向き合える現代アートを通し、ゆっくりと時間をかけて、他者と、あるいは自己と対話できる空間、「個と群れ」を意識しながらも鑑賞者が心身を落ち着かせ、時間をかけて楽しむ空間を出現させます。

[小林晴夫 & 村田峰紀 PRESENTS]
今村遼佑/内田望美/うらあやか/神村 恵/佐藤朋子/鈴木 淳/関 真奈美/西原 尚/光岡幸一/松本力+VOQ/ミルク倉庫+ココナッツ/山本 篤

神村恵《新しい稽古》
5月2日 14:00- / 16:00- / 18:00- [ゲスト:木村玲奈(ダンサー・振付家)]
5月3日 14:00- / 16:00- / 18:00- [ゲスト:矢野昌幸(役者)]→ ゲストなしに変更
5月4日 14:00- / 16:00- / 18:00- [ゲスト:高嶋晋一(美術作家)]


小林晴夫(blanClassディレクター・アーティスト)
今年のゴールデンウィークにはなにをして過ごす?昨年にもコロナ前にも、もう戻れないような気もするし…
「寝るか、醒めるか」それが知りたい。働き方に変化が促されている今、休日の利用方法も変化しているに違いない。副業に割り当てられるかもしれないし、将来を見据えて勉強を選択する人もいるかもしれない。もちろん娯楽や文化、旅行や観光、ショッピングにだっていそしみたい。いっそのこと全部忘れて、どっぷりと寝てしまいたい。でもOffしてもOffしても、別のスイッチをOnしてしまう。大型連休を前に気がつくのは「休日」の意味がいつの間にか変わっていること。願わくば、この企画を通して、これまでの「あたりまえ」を一時停止させてほしい。そしてアーティストたちが仕掛ける、やわらかな「思考の波」をそれぞれの頭のなかに注ぎ込んで欲しい。

村田峰紀(パフォーマンスアーティスト)
休むとはなにか、リセットすること。過去の自分へのご褒美、今後への備え、目標であると考えられます。
人生で1番遂行できている根源的行為は眠る事だと思います。人生を、終えた行為もまた眠ることになります。生きる為、身体を休めるために、回復をはかるために、人は寝ます。美味しい食事、規則正しい生活、家族やパートナーや友人との会話、音楽や映画の鑑賞などがより良い睡眠を与えます。またストレスが悪夢に繋がることもあります。また夢の中で特別な経験をし、人生観を変え覚醒したなども耳にします。夢と日常は双方に影響を与え合うものです。休日のプラットフォームでアーティストにより明日への活力がアップデートされることを望み、人生観をかえる衝撃で日常を見直す機会になってくれればと思います。

主催:BankART1929
助成:令和5年度神奈川県マグカル展開促進補助金

http://www.bankart1929.com/bank2023/news/23_003.html

ーーー

ステイトメント

《新しい稽古》

新しい作品の上演ではなく、「新しい稽古」をおこないます。

休養がテーマのイベントにおいて、パフォーマーとして十分に働くことは、むしろ十分な働きをしていないことのように感じられる。

また、“やりたいことをやって生きている“つもりである以上、全ての行為は自分にとって”心からやりたいこと”であり、そうあるべきであり、単に労働力を提供しているだけの時間は存在しない。その結果、労働の対価として堂々と休養することは、私にとって難しい。

いつも休みながら働き、働きながら同時に休んでいる。その日常の基本的な動作を、ここでも繰り返しておこないたい。

「稽古」は、上演作品を作る過程、動いて試しながら作る作業のことを指すこともあるし、日々の鍛錬として特定のゴールなしに、自分の身体を整えたり、自分の身体の状態を知ったりするために何らかのエクササイズを行うことを、指したりもする。

「稽古」という言葉を分解してみると、「古いことを稽える(かんがえる)」、ということになる。先人から学んだ知識や技術を繰り返して身体化するということでもあるし、生きてきた年数分の経験が蓄積されているはずの自分の身体から、何かを学ぶということでもあるだろう。

稽古をすること、稽古している人を見ることは面白い。すでに行われてきたこと、既知のことを繰り返しながら、その人の身体が更新されていくように感じられるからだ。

これはパフォーマンスではなくて稽古なので、鑑賞者にも「鑑賞する」という仕事を休んでみてほしい。稽古に参加してもいいし、無視してもいいし、ぼんやり見てもいい。

「新しい稽古」と題してみたものの、一体何が新しいということなのか、稽古しながら考えてみたい。

神村恵