ユングラ稽古会シリーズ2024年11月ー12月|YUNGURA Practice Series Nov. – Dec. 2024

ユングラ稽古会シリーズを引き続きおこないます。
それぞれ独自の関心を掘り下げているアーティストを招き、その人が現在関心を持って取り組んでいることを、一緒に稽古する会です。教わるというより、一緒に稽古しにお越しください。
詳細などは随時追加します。

スケジュール

2024年

11月27日(水) 19時~21時 渋革まろん「『森は考える』読書会/劇場中心主義を超えてよく群れる方法も考える」① 1章、2章

11月29日(金) 18時〜19時30分 福留麻里「小さなダンスクラブ〜アテネ国分寺remix」(ギリシャにいる福留さんとオンラインでつないでおこないます)

12月4日(水)  19時~21時 渋革まろん「『森は考える』読書会/劇場中心主義を超えてよく群れる方法も考える」② 3章、4章

12月6日(金) 15時〜17時 神村恵+兼盛雅幸「伝染性のある振付をつくる」

12月7日(土) 10時〜12時 木村玲奈「気軽にユニゾンを踊る方法を探る」

12月18日(水) 18時~20時 高嶋晋一「探究会:あるをする」第8回

12月19日(木) 18時〜19時30分 西村未奈「ブラインドワーク(第8感を拓こう!編)」

12月20日(金) 19時~21時 渋革まろん「『森は考える』読書会/劇場中心主義を超えてよく群れる方法も考える」③5、6章、エピローグ

 

会場:ユングラ(西国分寺駅より徒歩7分)

参加費:500円+ドネーション

予約不要。直接会場にお越しください。開始20分前よりお入りいただけます。
各回の稽古時間は、少し伸縮する可能性があります。

お問合せ:project.yungura@gmail.com

主催:プロジェクト・ユングラ

稽古内容

渋革まろん「『森は考える』読書会/劇場中心主義を超えてよく群れる方法も考える」| 11/27, 12/4, 12/20

エドゥアルド・コーン『森は考える──人間的なるものを超えた人類学』(奥野克巳/近藤宏 監訳、近藤祉秋/二文字屋脩 共訳)を3回に分けて読んで、思いついたことや感想を共有する会です。神村さんと話して、ユングラ→ジャングル→「森は考えるかぁ」の連想で決まりました。 毎回、2章ずつ読んでくることが目標です。
本は各自で用意。ただ、勉強会ではなく、本当にゆるっとした会なので、本書がなくても、読んでこなくても参加できます! お茶会気分で足を運んでもらえたら嬉しいです! なお、序章は飛ばして1章から入ります!

11/27 1章、2章
12/4 3章、4章
12/20 5章、6章、エピローグ

以下、読書会の内容とはぜんぜん関係ない、読書会のタイトルについての私見を述べます。もちろん、『森は考える』や脱人間中心主義に興味あるけど、まろんの私見にはまったく興味がない方の参加を心待ちにしています! どちらにも興味なくて神村さんに会いたかったり、暇つぶしたかったりするみなさんもぜひ!
数年前から「上演芸術を成立させる制度や価値観がポストシアター的なものに移行しつつある」と言ってきました。ポストシアターは、劇場中心主義が解体されたあとの演劇/劇場を考えるためのキーワードです。近代の劇場は同じ場所に集まったひとたちが、同じ体験を共有することで「わたしたち」のアイデンティティ/言語/身体を形成する装置として発展してきました。
しかし、舞台に集中する純粋な視座としての──つまり観ることの普遍性を担保する──観客席という理念は、誰もが肌身に感じているとおり、グローバル化の加速度的な進行にともない、階級、文化、民族、国籍、宗教、ジェンダー、セクシュアリティ等、多種多様な属性が複雑に交差する現代社会のありかたを息づかせることには向いてません。固定された観客席は「わたしたち」のバラバラさを覆い隠してしまうからです。それはSNSなどデジタル環境を通じて仮想化/多重化する自己の不確実性を経験する場にも適していません。やはり自己の内側に走る亀裂を「いまここ」の「わたしたち」の一体感によって癒してしまうからです。
劇場は「わたし(たち)はどう生きるべきか/生きられるか」の自明性が失われた現実にますます応えられなくなっています。言い方を変えれば、グローバル化が進んだ日本の多文化状況において、劇場制度は「わたしたち」の政治社会的な問題について合意形成を図る公共的な役割を──ある意味では始まる前から──担いきれなくなりそうです。当たり前の「わたしたち」はもう現実には存在しないからです。
たしかにお金を払えば、美や正義感や感動や共感や地元意識で「わたしたち」はまだまだつながれます。「わたしたち」はいるような気がする。だから劇場は「わたしたち」を感じさせてくれる体験消費の場として生き残りはするでしょう。でもそこに得体の知れない他者はいません。公共劇場の敗北です。
それでは、当たり前の「わたしたち」が失われたあとに、雑多としか言いようのない人びとがそれとして可視化され、共通項のない関心や価値観や感覚を織り合わせていく、雑多なものたちの公共性(共にあること)を想像することは不可能なのでしょうか?
スペイン語で「ジャングル」を意味する「ユングラ」には、「人のネットワークが絡まり合い広がっていくこと」がイメージされているそうです。ジャングルみたいに絡まり合うさまざまなもののネットワークから、もしかしたらポストシアター的な状況に応答する、雑多なものたちの公共性が想像できるようになるかもしれません。いま当たり前にイメージされているあの建物からは想像もつかない別の形の劇場、として?
そうしたわけで、ユングラ→ジャングル→「森は考えるかぁ」です。ユングラという「森」もなにか人知れず考えてるんでしょうか? でもたしかに「森は考える」と言われたらなんとなく納得しそうになりますが、森は考えへんやろ、という素朴なツッコミにエドゥアルド・コーンさんはどう答えるんでしょう?

 
福留麻里「小さなダンスクラブ〜アテネ国分寺remix」| 11/29
ギリシャのアテネでうまれた10秒前後の小さな振付を、その振付にまつわる場所や人やエピソードと共に紹介します。振付をつうじて、つまり身体をつうじて、今ここではない場所や時間を感じるって案外理にかなっているかも。と思っています。そして皆さんからも、ひとつずつ小さな振付を紹介していただけたら嬉しいです。用意しておいてもらっても、その場で思いついたものでもだいじょうぶです。最後はアテネと国分寺(以外の場所でうまれた振付でももちろんOK!)をまぜてつなげちゃいましょう。
 
神村恵+兼盛雅幸「伝染性のある振付をつくる」| 12/6
座る姿勢、歩きの速度、あくび、笑顔、どこかに視線を向ける、嘔吐、など、人間の動きは他の人間にわりと容易に伝染していきます。日常の動きを振り返ったり、真似したくなる他者の動きを見直したりしながら、伝染性のある振付をつくります。
最後は路上で発表し、通行人に動きを伝染させることを試みます。

 
木村玲奈「気軽にユニゾンを踊る方法を探る」| 12/7
とてもひとりで
でも誰かと
一緒に踊る方法を探ります
手鏡をご持参ください
音楽用語でもあるユニゾン(unison)は「一致」を意味し、ダンスでは、複数人で同じ振付を踊ることを指します
一体感と美しさが生まれるのが特徴

 
高嶋晋一「探究会:あるをする」第8回 | 12/18
私はできれば人間に参加したくない。
できれば人間に参加したくない者が参加したくなる会とはいったい何だろう?
私が真っ向から参加したいのは何だろう。

行きがかり上、あるいは便宜上、私は美術作家を名乗っている。だがどうも私は、何かを作ることや、何かを表現することや、何かを主張することには、さほど関心がないらしい。それより、自他問わず「何かを探っている」という状態に、全面的に関心がある。しかも、その探りたいものが探っている当人であっても十全にわかっていない状態、にもかかわらず、是が非でも探りあてようと、みきわめようとしている状態に関心がある。そして率直に言って、それ以外の人間の状態には、あまり興味がない。私は、私の人生という物語には興味がない。私が真っ向から参加したいのは、ただ誰かによって、何かが探られているという状況だ。

それにしても、何かを探っているとは、いったいどういうふるまいなのだろう。
私ひとりで勝手に探ればいいだけなのに、自他を問わずに関心が出てくるのはなぜだろう。
私は、原理的にひとりきりでしか探ることのできない領域こそ、他人とともに探りたくなる。で、どうなの? と尋ねたくなる。それは他人と話すのが好きというのとは違うし、他人の頭の中を覗いてみたいという願望とも違うと思う。

探ることは、「している」のではなく「しようとしている」ところに、つまり未遂が進行中であるところに独特の上演性がある。たとえば、あなたが現に探っているさまをみることは、あなたが語るあなたの人生の物語をみるのとは異なる上演性をもつ。あなたの肩書きや経歴、その他諸々の、あなたがこれまで与えられ、そうみなされているところの事柄。あるいは、みずからそうみなしていたり、そうみなされたかったりするところのすべての事柄。それらを取り除いて残るものがあなたにあるとしたらそれが何なのか、私は知りたい。探究という圏域において示されるのは、おそらくそうした残りのものであり、あなたと私が脱け殻同士で交感するような事態も、ときに生じるかもしれない。

みずからの行為を回顧するのではなく、ただ現にあることを行為に変換する。
すなわち、「私は今ここにいる」を行為にする。
どうやればいいのかまるでわからないけれど、行き当たりばったりなこの会のとりあえずの目標はそれです。
経験不問です。探究会は、何かを身につける会ではなくて、身を外す会です(武装解除も含む)。みなさまのご参加をお待ちしています。

 
西村未奈「ブラインドワーク(第8感を拓こう!編)」 | 12/19
主に目を瞑って行うソマティックプラクティスとムーブメントのワークショップ。視覚情報によって認識していた自分と外の関係をぼやかしながら、第8感(=身体の内側で起きていることを認知し、それをもとに自分を位置づける感覚。)を鋭敏にし、今までと少し違う在り方や自己表出のチャンネルを開拓していきます。遠隔霊気やエネルギー解剖学の知見も少しお借りします。ちょっとオルタナティブなダンスクラスです!

プロフィール

渋革まろん(しぶかわ・まろん)
批評家。演劇・パフォーマンスを中心に批評活動を展開。「チェルフィッチュ(ズ)の系譜学――新しい〈群れ〉について」で批評再生塾第三期最優秀賞を受賞。演劇系メディア演劇最強論-ingの〈先月の1本〉にてパフォーマンスとポスト劇場文化に関するレビューを連載(2022)。最近の論考に「〈ポスト欲望の人間〉とリテラルなものの露出」(2024)、「ポスト劇場文化の〈雰囲気〉と“参与の構造”を解析する」(2024)など。パフォーマンスアートプロジェクト「R5 遺構 I 以降 since then I from now」(2023)、「Inhabited island – War and Body」(2023)、「R6: Releasing and Healing 解放すること/癒すこと」(2024)参加。

福留麻里 (Mari Fukutome)
ダンスのはじまりや、ダンスになる手前にある可能性を探り、いくつものやりとりから生まれる感覚や考えや動きを見つめながら、様々な場や状況、人と共に踊っている。最新作は、小さな記憶や物語の宿る媒体としての10秒前後の振付を採集し、思い出し忘れ変化し続ける作品「まとまらない身体と」(2021年~)。
2019年より、毎日をからだで遊ぶための言葉のレシピプロジェクト「ひみつのからだレシピ」(BONUS木村覚との共同企画)を継続的に展開。2022年より「「小さなダンスクラブ」を始動。風に揺れる葉っぱの動きや、誰かのふとした仕草など、日常で発生する様々な動きに「小さなダンス」を見出し対話を重ねながら活動している。2020-2021年度セゾン・フェローⅠ。2020年より山口県在住。2024年はギリシャのアテネで生活、活動中。https://matomara.fukutome.work

神村恵(Megumi Kamimura)
振付家・ダンサー。2004年より自身の作品の振付・上演を開始し、国内外で公演を行う。津田道子とのユニット「乳歯」、高嶋晋一とのユニット「前後」など美術家との共同も多く、ダンスに収まらないパフォーマンス作品も発表している。近年の主な作品に、『彼女は30分前にはここにいた。#2』(2020年、国際芸術センター青森)、『新しい稽古』(2023年、BankART KAIKO)など。2022年、スタジオ「ユングラ」の運営を開始し、同時に複数のアーティストと共に「プロジェクト・ユングラ」を始動。2021年度より、セゾン・フェローⅡ。

兼盛雅幸 (Masayuki Kanemori)
十代はあまり体を動かさずにアニメオタクとして過ごし、二十歳過ぎて舞踏に出会い「イメージで体を動かすこと」で世界の見え方が変わることを知り、身体感覚に興味を持ち始める。週一で参加している舞踏の稽古では1時間無音で特にテーマも与えられずに踊る、二十年以上続けているがそこでは毎回新鮮な発見を繰り返している。2009年ソロ作品「なんとなく夕暮れに」発表。2010年より斉藤栄治主催の「世界装置」に参加。

木村玲奈 (Reina Kimura)
振付家・ダンサー。風土や言葉と身体の関係、人の在り方 / 生き方に興味をもち、〈ダンスは誰のために在るのか〉という問いのもと、国内外様々な土地で創作・上演を行う。ダンスが生まれる仕組みや構造を探したり、考えることが好き。近年は、ダンスプロジェクトのリサーチャーやファシリテーターとしても、幅広い年代の身体 / 心と向き合う。主な振付作品に『6steps』『どこかで生まれて、どこかで暮らす。』『接点』がある。’19 – ’20 セゾン・フェロー Ⅰ 。 ’20 – 東京郊外に『糸口』という小さな場・拠点を構え、土地や社会と緩やかに繋がりながら、発表だけにとどまらない実験と交流の場を運営している。https://reinakimura.com

高嶋晋一(Shinichi Takashima)
1978年東京都生まれ。美術作家。ダンサー・振付家の神村恵とのユニット「前後」でパフォーマンス作品を、写真家・映像作家の中川周とのユニット「高嶋晋一+中川周」でヴィデオ作品を制作/発表している。前後名義での近年の上演に《やってみるとはどういうことか》(「Sound Around 002」、ロームシアター京都、2022)、《眺めるを振り付ける》(「Whenever Wherever Festival 2021 Mapping Aroundness――〈らへん〉の地図」、スパイラルホール、東京、2021)など。高嶋晋一+中川周名義での個展に「αMプロジェクト2022「判断の尺度」vol.5 無視できる」(gallery αM、東京、2023)、「経験不問」(Sprout Curation、東京、2022)など。

西村未奈(Mina Nishimura)
禅思想に影響を受けながら身体表現活動を行う。近作に「エクソシストの反対語を探しながら、森の地図を描くこと。」(2021-2024、Jacob’s Pillow Dance Festival/Danspace Project)、「ゾンビになる練習」(2023、BMC Museum+Art Center)など。’17 米ダンスマガジン 優秀舞踊家賞、’19 現代芸術財団賞(FCA アワード)受賞、’23 ’24 USAフェローシップ 連続ノミネート。ベニントン大学所属、エマーソン大学、プリンストン大学、サラローレンス大学ゲストアーティスト。担当講座に、「不在のアート」「More-than-human-dance」など。(主に遠隔)霊気、エネルギー解剖学、盆踊り、ラップ初級プラクティショナー。