「まつりの技法」~映画から身体表現を立ち上げるワークショップとトーク~|Art of Festival

映画『Necktie』(監督:七里圭/脚本:山形育弘)を、神村恵の振付で、「まつり(祭礼)」として、再創造する。まつり化する「Necktie」制作は、まつりを取り仕切る集団「ワンゲル」の立ち上げと合わせて、2020年を通じて進められ、2021年に発表(Whenever Wherever Festival 2021 を予定)。今回はそれを、ワーク・イン・プログレスとして公開し、参加者もその振付の一部を体験するワークショップを催す。
また、ワークショップ後には、ディスカッションとともに、山本浩貴、鈴木一平(いぬのせなか座)をゲストに迎えるトーク・イベントも行う。
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Playing, not learning.

何かに役立つことをやろうとしたり、目標を立てたりするとやる気が湧かず、特に役立たないことの方が、やる気になるのはなぜなのか。最近暇つぶしに、あるいは現実逃避的に韓国語を勉強している。勉強というより、単にゲームとしてやっている。
備忘録的に、自分のやり方を整理してみた。
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2019/2/6

2 ピダハンの「見る」

ここでいったん寄り道して、アマゾン原住民ピダハンの言語と文化を調査研究した書籍『ピダハン-言語本能を超える文化と世界観』(ダニエル・L・エヴェレット)の一部を紹介し、「見る」ということについて考えてみたい。

・現実/夢
ブラジル、アマゾンのジャングルで狩猟生活を営む原住民ピダハンは、文字や宗教の存在しない、極めて特異な言語・思考を持っている。彼らは自分が直接見聞きしたことしか信じないし話題にもしない。したがって彼らの社会には、神話や歴史、将来の計画も存在しない。
しかし一方で、彼らが「見る」ことのできる内容は多様である。例えば、彼らは寝ている間に見る”夢”も、自分が「見た」ことととして、現実と全く同じように語る。ピダハンの「見る」経験にはいくつかの種類が含まれているようだ。いわゆる現実に見えている出来事、現実の中で想起されるイメージや錯覚、睡眠中の夢、誰かが演じる内容。それらすべてを彼らは区別なく「見る」。

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